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生き物好きクリエイターのTAKOが思いつくままいろいろ書いてます。

コーチングは胡散臭い。うん、まぁそうかもしれない。

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昨日ちょっと書きかけた「コーチングは胡散臭いか」について書こうかと思う。


コーチング セミナー」で検索すると、結構上の方に
コーチンセミナー 胡散臭い」が出てくる。


コーチングは胡散臭いか?


コーチング大好きな私も、実はきっぱりと「No」とは言えない。
だって、見ようによっては結構あやしいし、実際人気のコーチの周りには信者みたいな人もいっぱいいるし、儲けの手段としてやってる人もいるし、本当に催眠療法みたいな事をやる場合もある。

だけどまぁ、コーチングに限らず、コンサルも、カウンセリングも何でもそうだけど、信じて自分がよい方向に変われるならいいし、そうでなければ、それだけだという感じがする。

高いお金をとって詐欺みたいだ。
という人もいるけど、まぁそれも、高い服を買っても「う〜ん似合わない」と着れない場合もあるし、高い食材を買っても、結局いつもと味が変わらない場合もある。
それは詐欺でなく、自分がうまく使いこなせなかっただけだと思うので、そんな感じなのかなぁと思う。

なので、それをハナから「そんなもんで変われるはずがない」と断言して、自分の可能性を閉じてしまうのは、とてももったいないなぁと思う。




私自身の話をしようと思う。


私は、小学生の頃から高校卒業するまで、ずっと体の特徴をからかわれて育ってきたせいで、人みしりが激しいというか、素直に人を信じられない性格に育ったと思う。
人に会えば「この人は私の事を悪くいう人か? 大丈夫な人か?」を、無意識で判断しようと警戒し、「大丈夫な人」とわかるまでは、表面的にしか付き合わない感じだったと思う。

大人になって、さすがにいろいろ経験も積んで、人づきあいも人並みには出来るようになったけれど、無意識に警戒するくせ、というか、体の自然な反応は治らず、人付き合いは苦手だし、あまり本音は言わなかった。

そんな感じなので、人とは一定の距離を置いてお付き合いするのが安心で、そんなところを踏み越えて、強制的に仲良くなろうとする飲み会なんかは、大変大変苦手だった。

それから、人前にたって話をするのも苦手だった。
子どもの頃に、人に注目されると言えば、誰かが私の悪口を言っている。どこからか聞きたくない私のあだ名が聞こえてくる。そんな感じが日常的にあったので、人の視線が怖かった。
なので、人前に出て、注目されるとど緊張した。



大人になって「そんな事ばかりではないよ」と学習したけれど、体の自然な反応は治らず、何十年たってもそのままで、人の多いところはやっぱり苦手だなぁと思っていた。


それが...だ。
自分でも本当にびっくりしているのだけど、つい、この2年くらいの事だ。
いつの間にか緊張しなくなっている自分に気づいた。


ずっとなんとかしたいと思っていて、たくさんの本も読んだ、セミナーにも行った、カウンセリングも受けた、自分でも努力した... けど、どうにもならなかったのが、なぜかいつの間にか大丈夫になっていた。


なんでかな〜? と考えた時、やはりこれはコーチングのおかげだな。と思い立った。
正確に言うと、コーチングに関わったおかげで、たくさんのいろんな人と深く安心して話す機会がぼーだいに増えて、表面的でなく、本当に深いところで「人と話しても大丈夫なんだ」と感じられたからではないかな、と思えた。


なので、これは「コーチングがいい」という話ではなくて、結局、人は安心して話したり、聴いてもらえる環境があると、人に対して心を開けるようになるし、そうなるととても楽になるよ。という話。
で、その環境のひとつにコーチングというのがあるよ。... という感じかな。


そんな技術や場所がなくても、人を信じて、楽に生きていけると一番いいのだけど。。。
なかなか、すんなり生きるには、障害物が多い世の中なので....ね f^^



ということで、「コーチングは胡散臭いか」については
「胡散臭い」かもしれないし、人生が変わるかもしれない。
そして、時には失敗もあるかもしれないけれど、それはそれで、人生の勉強だから。。。
ってな感じかな。
.... 私もいろいろ失敗して勉強した💦

それもこれも、みんな糧。

人生の深さになってるって事だな。


ではまた。

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